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韓国・仁川文化財団の機関誌に3.11後のアートシーンについての記事を寄稿しました。

JULY 21, 2011 3:02 PM / CATEGORY:レポート

韓国の仁川(インチョン)にある、アーティスト・イン・レジデンス、Incheon Art Platformの機関誌で、仁川文化財団(Incheon Foundation for Arts & Culture)が発行する冊子「asia culture review PLATFORM 28 - JUL/AUG 2011」に、3.11以降の日本のアートシーンを報告する記事の執筆依頼があり、3331スタッフが寄稿しました。

以下、仁川文化財団の許諾をいただきましたので、もとの日本語記事全文を掲載致します。


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東日本大震災から3ヶ月─失われた景色、希望の種
長内綾子(おさないあやこ)|3331 Arts Chiyoda コーディネーター

3月11日(金)午後2時46分、おだやかな日差しの中、あの地震は起きた。
東京の自宅にいた筆者も、いままで経験したことのない激しい揺れに、周囲の家具に掴まって立っているのがやっとという状況だった。急いでテレビをつけてみると、震源は宮城県沖、東北から関東に至る広い範囲でとても強い揺れを観測していた。
幸い東京のほとんどの地域では停電も起こらず、水道、固定電話、インターネットは問題なく使えていたが、携帯電話は発信制限のためか全く繋がらないという状況だった。
とにかく今回はただことではない、そんな緊張感が、沿岸部にいる人々への避難を連呼するテレビのアナウンサーの声のトーンからも感じられた。画面には、海沿いの地域の映像が映し出され、各地の映像を切り替えるたびに水位が明らかに上昇していることを知らせていた。そして、その数時間後には、津波が沿岸部の街をなぎ倒し押し流す様子や、黒い水が猛スピードで水田を飲み込んで行く鮮明な映像が次々に流された。

映像技術の進化と配信技術の多様化に加え、情報共有の手段もここ数年で格段に増えたが、とりわけ東京にいる多くのひとたちは、Twitterによる安否確認や情報伝達を積極的に行っていたように思う。そんな情報過多の時代にも関わらず、全く状況の見えない原発事故の状況は、私たち一人一人を猛烈な不安へと陥れる出来事であっただけでなく、事故後の政府の対応は、韓国をはじめとした周辺国はもとより、世界の人々の信頼を失墜させることとなってしまい非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

今回の震災を受けた日本のアートシーンの応答はまさに多種多様であり、アートと一口にいっても様々ではあるが、本稿では主に現代美術の領域に焦点を当て、活動の紹介や現時点での状況をお伝えしていこうと思う。震災から100日を迎えたばかりの今、この記事を書くことは正直はばかられることも事実だが、できるだけ正確に、伝える努力をしたいと思う。

●余波─東京のアートシーン

地震から1週間は、原発事故、計画停電、飲料水不足と、とにかく毎日信じがたい出来事の連続で、私たちの日常はどこかへ吹き飛んでいた。東京でも多くの美術館が館内点検などを理由に臨時休館の措置を取るところが多く、森美術館では3月18日から始まる予定だった展覧会を1週間程延期してのスタートとした。また、当初4月1日からの会期を予定していたアートフェア東京は、3月22日、東京都からの要請で会場の東京国際フォーラムが被災者及び福島第一原子力発電所の事故による避難者の受け入れ施設として指定されたため、延期を余儀なくされるという事態となった(延期日程は7月29日~7月31日に決定)。
他にも、中止/延期の知らせが相次いで舞い込んだが、それと同時にチャリティ展やオークション、イベント収益を義援金として寄付をするという活動が広がりを見せていた。代表的なものとしては、小山登美夫ギャラリー(Tomio Koyama Gallery)のある<清澄ギャラリーコンプレックス>で開催された、「東日本大震災被災地支援のための清澄サイレント・アートオークション」がある。ビル内の各ギャラリーが連携し、奈良美智をはじめとする各ギャラリー所属のアーティストによる全125作品を販売し、最終的には約4000万円におよぶ収益を国際NGO「ジャパンプラットフォーム」へ寄付したという。
また、中長期的支援活動を表明する団体がいくつも立ち上がり、継続的な寄付や被災地でのワークショップやイベント開催等を計画しているが、震災前から地方在住のアーティストやアートNPOと連携したプログラムを展開していた団体の活動は、やはり地に足の着いた活動として好感が持てる。その代表として、NPO法人アートNPOリンクが立ち上げた<アートNPOエイド>の活動を紹介したい。NPO法人アートNPOリンクは、設立以来、全国各地でアートNPOの全国会議や文化政策提言等を行っており、これまでに培ったネットワークやノウハウを駆使し、災害に遭った地域のアーティストやアートNPOが一日でも早く活動を再開できるよう、1.寄付の受付、2.活動の紹介、3.表現に必要な道具の提供、4.コーディネート を行っている。サイトには、美術家・藤井光による被災地域のアート関係者へのインタビュー映像<3.11アート・ドキュメンテーション>が掲載されているが、美しい映像の中に克明な被害状況や被災者のリアルな姿が立ち現れる。
こういった活動をさらに後方支援するものとして、公益財団法人 企業メセナ協議会による「GBFund(東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド)」も立ち上がり、既に第二回目までの助成先が決定し25団体への支援を行っている。このような支援活動が、公的機関/民間問わずより広がっていくことを願う。


●被災地では─未来への種まき

次に、被災地となった東北から。東北の中心都市といえば、人口102万人を超える宮城県仙台市だ。その中心地に今から10年前の2001年にオープンした「せんだいメディアテーク」(運営:財団法人仙台市市民文化事業団)は、世界的にも著名な建築家・伊東豊雄による設計として大変有名な建物だが、地震により建物7階では天井の一部が落下するという事態に見舞われた。ただ、それ以外の被害は小さく、5月頭には3階の市民図書館までを再開させたと同時に、いくつかの主催事業もスタートした。その一つが「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の開設だ。センターにはスタジオと放送局があり、市民、専門家、スタッフが恊働し、復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録してゆき「震災復興アーカイブ」として記録保存するという。
他にも、メディアテーク1Fのオープンスクエアを活用する形で、震災復興や地域社会、表現活動について人が集い語り合う場としてトークや公開会議、市民団体の活動報告会などを多様な催しを行っていく「考えるテーブル」という企画もスタート。ゆっくりお茶を飲みながら「対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験する「てつがくカフェ」の開催や、茨城県水戸を拠点として活動しているアーティスト中崎透による市民参加型長期ワークショップ「制活編集支援室」、そして、3年前から宮城県名取市にある約100世帯の集落<北釜>に単身乗り込み、地域の専属カメラマンとして様々な行事を記録する傍ら作品制作をしていた写真家・志賀理江子による連続レクチャー等が開催されるという。志賀のレクチャーは2012年11月にメディアテークで開催予定の個展の事前イベントとして、以前から予定されていたものではあるが、今回の震災で自身も津波の被害に遭い避難所生活を余儀なくされ、写真や資料の多くが失われてしまったという彼女の発する言葉には注目せざるを得ないが、先日6月12日に行われた第一回目のレクチャーで志賀は、今回のプロジェクトは全て震災や津波などが着地点ではありません、と語っている。それは、私たち作品を見る側に一人のアーティストの強い意志を感じさせるものであり、個展に向かっていくその姿をそして作品を、こちらもしっかりと見届けてゆきたいと思う。

また、仙台から車で30分ほど離れた塩釜市にあるアートスペース「BIRDO FLUGAS」(ビルド・フルーガス)の活動も紹介したい。塩釜は港町にもかかわらず、沿岸部の中では比較的被害の少なかった地域だが、それでも建物1階部分は女性の背丈程まで浸水したという。幸いにも2006年にオープンした新しい建物であったため、1ヶ月後に筆者が訪問した際には津波の影響を感じさせないほど奇麗に整理されおり、代表の高田彩さんは既にアーティスト仲間らの協力を得て、避難所の子どもたちへ文房具を届ける活動や、段ボールにアーティストが絵を描いて物資の整理に活用してもらう活動を展開していた。また、2007年より継続している子ども向け出張ワークショップ「飛びだすビルド!」も再開し、避難所や仮設住宅を回っている。

他にも多くのアーティストが一人の人間として被災地でのボランティア活動に加わっており、その中からアートとも呼び得る活動が始まっている事実もお伝えしたい。若干23歳の若手アーティスト・北澤潤は、福島県北部に位置する新地町というところで、4月から災害ボランティアセンターのスタッフとなり、日々刻々と変化する被災者ニーズの中、仮設住宅でのサロン担当という役割を担っている。彼はこれまで、地域社会に寄り添うように、島、村、家、民、などをキーワードとした小さな日常をつくりだすプロジェクトを行ってきたが、そこで培ってきた経験とノウハウを活かし、「マイタウンマーケット」という活動を始動させた。これは、仮設住宅のなかで市場(いちば)を開くというもので、仮設住宅の集会所を拠点に、市場の基本となる敷物を編むところからはじめ、住民たちと対話の中で出店者を募り、少しずつ集まった出店者とともに町のパーツ(役場、郵便局、学校、八百屋、喫茶店、交番、理髪店、映画館など)を考え、<マイタウンマーケット>におけるお店としてつくりあげていくというものだ。第一回目の市場は7月に予定しているそうなので、筆者もぜひその様子をのぞきに行きたいと思っている。


●3331 Arts Chiyodaと震災─東京のアートセンターにできること

3331では震災直後、3331入居団体を中心に声掛けをし、「緊急オープンミーティング─いま私たちにできること」を開催。直前告知にもかかわらず、施設利用者を中心に60人ほどの方が参加してくださり、今それぞれが思っていることを話しつつ「3331 Arts Chiyoda」にはいったい何かできるのだろうか、という話し合いの場を設けた。結果、3331のスペースを、アーティストやデザイナーといったクリエイティブな表現を行う方達に開放し、復興支援のために利用してもらおうということになり、4月2日、3日に、体育館を使ったイベントを行ったほか、7月10日までの展示室のスケジュールを全て延期し、「東日本大震災復興支援 Arts Action 3331」と題して、アートやデザイン等による復興支援の活動を展開する方たちへメインギャラリーを無償で提供している。
また、9月より開催の光州デザインビエンナーレへの参加が決定しており、東日本大震災に関係した展示を予定しているので、ぜひ足を運んでいただきたい。


以上が、震災から3ヶ月のアートをとりまく状況の一端である。紙面の都合上書けなかった活動も多くあるが、被災地では復興ではなくライフラインの復旧さえままならない地域も多く存在している。引き続き、韓国のみなさんからの中長期的な支援あるいは注目をお願いしつつ、ひとまずの報告とさせていただきたい。

2011.06.19

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●3331 Arts Chiyodaとは?
3331 Arts Chiyoda は、2004 年に廃校となった旧練成中学校を改修して2010年に誕生した公設民営のアートセンター。ギャラリーやカフェ、クリエイターの事務所などが入居し、さまざまな分野の人が出入りすることも3331 Arts Chiyoda の魅力のひとつ。こうした環境をいかすべくスクーリングプログラム「ARTS FIELD TOKYO」やアーティスト・イン・レジデンス事業「AIR 3331」等も展開している。
多くのイベントや展覧会を通して、さまざまな表現を発信する3331は、東京だけでなく、日本各地や東アジアそして世界中をつなぐ「新しいアートの拠点」となることを目指している。
http://www.3331.jp/

●長内紹介(おさないあやこ)
1976 年北海道生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒。フリーランスのデザイナーとして活動の傍ら、2004年、アーティストの岩井優らとSurvivart (サバイバート)を立ち上げ、トークや若手アーティストの展覧会を企画。一方で、日韓交流展「POINT」(韓国:Alternative Space LOOP、日本:京都芸術センター)、「Re:Membering」(韓国:Doosan Art Center 他)ではアシスタント・キュレーターを務めた。3331では、プログラム・コーディネーターとして主催事業のコーディネート等を担当している。

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